片倉城跡公園 | 片倉城跡公園案内図 (国道16号側の入口の案内図写真) |
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湯殿川の沿道に接する広場は、この案内図には記載されていません (湯殿川はこの図のすぐ下側あたりを流れています)。 開園当時(昭和47年)は、まだ、広場の用地が整備されていなかったか、公園用地に決定されていなかったのだろうと思います。
湯殿川の広場には「片倉城跡公園 / かたくらじょうせきこうえん」の公園碑も設置され、広場も公園の一部になっています。 記載されていない広場は、図の下側の園外の地域の一部で、水車小屋と藤棚の間の園路から、公道を挟んで連絡し、分園のような様子です (広場との通路はここだけです)。
東屋の前の水場は、少し様子が異なり、東屋の前から公園外に伸びる園路も垣根があり、 藤棚を経由して外に出ている点が少し異なります。東屋の前の区画は、現在は水場ではなく、 シャクナゲやハナミズキが植えられた芝地になっています。
見返台の北側(藤棚より手前)には、階段と園路が新たに整備され、上の「つつじ山」と畑のあたりに上ることができます。
見返台付近も擬似杭などで整備されており、さらに、西(右)の公園入口に杭と囲いが設けられました。 この見返台から西側の入口までは園路図の右外側にあたります(説明文が記載されているあたり)。
片倉城は、室町時代、大江広元を祖先とする長井氏によって築かれたと伝えられています。 歴史的にはほとんど不明で、規模こそ小さいが、外敵に対して堅固な山城だったようです。
太平洋戦争中は、高射砲陣地として使われました。
公園に入ると湧水を受けて池があり、進めばすこし息切れのするのぼり坂、高い広場は城あとです。
春には、カタクリ、ニリンソウ…… 夏、秋、冬の草花も負けじと可憐に顔を出します。 小鳥も虫も林の中で生まれ育ちます。
開園 昭和47年3月18日
面積 39,272平方メートル
南西部地区ゆめおりパークさんの 片倉城跡公園の詳細ページには 「面積は、約6haにおよび」とあり、この案内図記載の39,272平米とは違いがあります(誤差や丸めレベルの差ではないですね)。 きっと、上で述べた湯殿川の広場や見返台のあたりの区画の違いが現在との面積の違いなのでしょう。
カタクリとニリンソウが説明に出てきて、カタクリの絵が片倉沢のあたりに描かれています。 図にあるように、このあたりにカタクリが群生していますが、奥の沢の方までカタクリを見ることができます。 ニリンソウの図はありませんが、カタクリの場所と同じような経路を歩くとニリンソウの群生する場所もあります。
片倉城跡公園案内板 | 片倉城跡公園案内図 | 二の丸広場の案内版 |
片倉城跡公園の入口標識 | 秋、紅葉の彫刻広場 | 秋の彫刻広場 - 片倉城跡 |
秋の彫刻広場 | 秋の住吉神社参道 | 秋の本丸広場 - 片倉城跡 |
湯殿川越しに桜並木 | 秋の北側公園入口と桜並木 | 秋の北側広場、桜の紅葉 |
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